Rosy Teatime 1

 
 昨夜の荒れた天候がまるで嘘のように、今日は朝から良く晴れてくれた。窓の向こうの青空は目に眩しいほど。美事な秋晴れだ。
 気温は低いようだけど、風も強くなく、陽射しは暖かそう。
 うっかり昼過ぎまで室内に引きこもってしまっていたけど、せっかくの好いお天気、お出かけしないのはもったいないかも。あとで散歩に出ようかな。近くに銀杏の並木道があるし、少し行ったところには堤防遊歩道があってそこに植えられている桜の木の紅葉も見てみたい。「一緒に」と誘ったらユエル様は頷いてくれるだろうか。
 そんなことをぼんやり考えながら、わたしはティータイムの準備を始めていた。

「ミズカ」
 飾り棚の上に置かれた卓上カレンダーを眺めていたユエル様が、ふと何かを思いついたようにわたしの方に振り返って、言った。
「今日、十一月二十二日は、良い夫婦の日だそうだよ」
 ユエル様は意味ありげに深緑色の双眸を細めて、わたしを見つめる。
「……え」
 思わず手が止まる。紅茶の葉をティーポットに入れる間際だった。
「えっと、なんて……?」
 聞き返すと、ユエル様はにっこり笑って復唱してくれた。「良い夫婦の日」と。
「…………」
 どう返したらよいのかとまどってしまい、手を止めたまま、瞬きを繰り返した。じわじわと頬が熱くなっていくのが自分でもわかる。
 だって、いきなりだし、それに「夫婦」なんて……――
 ユエル様は体ごとこちらに振り返り、そしてわたしのすぐ傍までやってきた。
 対面キッチンの向こう側、ユエル様は腕を組み、それから片手を顎に添える。顎に添えたのは左の手。その左手の薬指には銀の指輪がある。それはわたしの薬指にもある。内側に薔薇の刻印のある、特別な"契約の指輪"。……つまり"結婚指輪"だ。
 ユエル様はちょっとわざとらしいしぐさで小首を傾げてみせた。しなやかな長い銀髪がさらりと揺れて、たったそれだけの所作がひどく魅惑的だ。
 見慣れたはずの美貌なのに、時々ユエル様は不意打ちのようにとびきり艶めいた微笑をわたしに向ける。何かをわたしに伝えたい時のサインだって、最近では察せられるようになった。けど察するだけで精一杯で、いつだって向けられた水をうまく受け取れない。ときめいてしまって、目がくらんでしまうんだもの。
 火にかけていたケトルがピーッという高温をあげて、わたしはようやく我にかえることができた。慌てて火を止めた。わたしの頬のほてりも治まってくれるといいのだけど。
「その茶葉は、ディンブラとアッサムのブレンドティーかな? よい香りだ」
「あっ、はいっ、そうです。フレーバーティーの、マロンティーです。この季節に合うかなって」
 ティーポットに茶葉を入れ、ぐらぐらに沸騰した湯をすぐさま注ぎ入れてポットの蓋を閉じる。すぐにティーコージーをかぶせて砂時計をセットした。ユエル様は紅茶をお好みだから美味しく淹れたい。
 使用しているティーコージー(ポット用の保温カバー)は紅茶専門店で購入したもの。だけどそれとは別に、コットン糸をつかったかぎ針編みのティーコージーを作成中だ。今まで編み物ってほとんどしたことがなかったのだけど、これを機にいろいろ作れるようになれたらいいなと思いたって、先週からとりかかっている。もちろん初めてのことだからうまくいかなくて失敗も多いけど、何かを作るって、とても楽しい。他にもいろいろ作りたいなっていう欲がむくむくと湧いてくる。
「ユエル様、お茶、向こうに持っていきますから」
 残りのお湯でティーカップを温めながらユエル様に告げると、ユエル様は何か言いたそうだったけど、わたしの言葉に従ってリビングへ戻っていった。
 いま、わたしとユエル様がいるのは「リビングダイニング」。リビングとキッチン、ダイニングが繋がっている部屋だ。それほど広くはなく、十二畳くらいだろうか。ユエル様が選んだ物件にしては手狭……かもしれない。2LDKだから二人住まいにはちょうどいいような、広いような。
 対面キッチンにはダイニングテーブルが添え付けられているけれど、そこでティータイムを過ごすことはあまりない。リビングに置いたローテーブルと二人掛けのソファー、そこでまったり過ごすことが多い。
 なんとなく、今までと違った部屋の雰囲気。
 寝室は二つあるのだけど、以前とは違って同じ寝室で休むようになった。……ユエル様曰く「当然」、ベッドはひとつだ。
 当然と言われても、未だにちょっと戸惑って、緊張しちゃったりする。でも少しずつ慣れてはきた……かも。離れていると不安になるくらいには。
「お待たせしました」
 トレイにティーポットとティーカップを載せ、ユエル様の傍へ。ユエル様は「ありがとう」と微笑みかけてくれる。たったそれだけのことで心がほんのりと温かくなってくる。
 テーブルにトレイを置くと、ユエル様はティーコージーをとり、「私が淹れよう」と、わたしに座るよう促した。「私の横に」とユエル様の目が語る。
「…………」
 わたしが淹れますと主張する気にはなれなくて、ユエル様の隣に腰を下ろした。ユエル様は座ったまま、けれど決して雑な動作ではなく、優美な所作で紅茶を注いでくれた。湯気がたち、甘い香りが広がった。
 ユエル様と並んで座って、おそろいのティーカップで紅茶を飲む。
 何も特別なことはないけれど、わたしにとってこの時間は大事なひと時だ。
 右隣にいるユエル様の横顔をちらりとのぞき見る。ティーカップを口元に運ぶ、たったそれだけの僅かな動作ですら優雅だ。なんて綺麗なんだろうって、いつも思う。どちらかといえば彫りの深い面立ちと言えるけれど、精悍というより繊細な細面。艶やかな銀髪が肌理細やかな白皙をさらに引き立たせて、まるで三日月の化身のようだ。
 しみじみと、あるいはどきどきしつつユエル様の横顔を見つめていると、ユエル様はすぐにわたしの視線に気づいて、こちらに顔を向けて微笑んだ。
「ミズカ、私に見惚れるのはいつでも歓迎だが、せっかくの紅茶が冷めてしまうよ?」
「えっ、あ……そう、ですねっ」
 手に持ったままのティーカップを慌てて口元に運ぶ。ユエル様はそんなわたしを愉しげに見つめていて、わたしは肩を縮こまらせて、ようやく一口二口、マロンティーを口にした。
 今日開けたばかりのマロンティー、もちろん香りも良く立ってとても美味しかったけれど、それよりもユエル様のまなざしが甘くって、なんだか少しだけ居たたまれない気分になってしまう。
「ミズカ」
 ややあってからだった。ユエル様はわたしの髪をひとつかみ掬い、指に絡ませた。
 突然のことに驚いて、つい身をこわばらせてしまう。
「ユ、エル様?」
 紅茶をこぼさないよう、両手でティーカップを包むようにして持つ。まだ半分ほど残っているけれど、飲み干せる気がしない。
 だって、ユエル様、すごく近い……!
 すでに紅茶を飲み終えていたユエル様は手持無沙汰なのか、わたしの髪を指に巻きつけたり、頬や首筋を撫ぜてみたり、なにやらやたらと触れてくる。
 もちろん嫌なわけじゃない。だけどくすぐったくて、恥しいからなのか、それとも別の感情からなのか、身体が熱ってきて動悸も激しくなってくる。
「ねえ、ミズカ?」
「は、はい?」
 ユエル様は艶然とした微笑みをわたしに向けてきた。優しいけれど、どことなく憂いを含んだような微笑だった。
「今日は、"良い夫婦の日"なんだそうだ。十一月二十二日を"いいふうふ"と読ませて。日本には、何やらこうした記念日がほぼ毎日あるようだね」
「そうなんですか……」
 どう返答したら良いものか、曖昧に相槌を打つしかできない。とりあえず手にしていたティーカップをテーブルに戻し、ユエル様の話に耳を傾けることにした。
「まあそれでふと思ったのだが、……ミズカ」
「はい?」
 ユエル様はいつになく歯切れの悪い話しぶりだ。ちょっと微苦笑して、軽くため息をついた後、思いがけないことをわたしに尋ねてきた。
「私は、ミズカにとって良い夫だろうか」
 突然すぎるその問いかけに、わたしは絶句して、目を見開いてユエル様を凝視した。
 一瞬、何を言われているのか分からなくて、ぽかんと間抜けな感じに口を開いて硬直した。