Rosy Teatime 2


 二、三度瞬きをして、それからようやく何を言われたのか理解した。
「良い夫だろうか」
 という、問い。
 ユエル様がまさかそんな問いかけをしてくるなんて。ユエル様は真顔でわたしを見つめている。
 そんなの……答えなんて決まってる。けれど即座に答えられなかったのは、あんまり突然だったから。まず、「どうしてそんな」って疑問が浮かんできた。
 ユエル様はわたしから返ってくるだろう答えを知ってるはず。知ってて、確認のためにそう問いかけてきたんだろう。そしてそれはきっとわたしにではなく、ユエル様自身に向けた問いかけなのかもしれない。
 いろんな考えが頭の中で高速回転していて、声が出てこない。
「良い夫婦の日」にかこつけての質問にしたって、なぜいきなりそんなこと言うんだろう、ユエル様。
 うっかり、茶化さないでくださいって文句をつけそうになってしまった。以前のユエル様にだったら、わたしは迷わずそう言いかえしていただろう。
「あ、あの、ユエル様……」
 でも、ちゃんと答えなくちゃ。答えなんてとうに出てるんだから。答えてから、どうしてと問えばいい。
 けれど、焦るあまり言葉が出てこない。それになんだか……今更だけど、すごく恥しい。「夫」、だなんて。そりゃぁ、わたし達は、一応は……その……「夫婦」ではあるのだけど。夫婦になって数ヶ月は経ってるわけだけど……
 ユエル様は肩の力を抜くようにふうっと大きく息を吐いた。
「唐突すぎたね」
 ユエル様は優しい笑みを口元に湛えた。
「だが、一度訊いてみたいと思っていた」
 ユエル様はわたしの頬へと手を伸ばし、表面をなぞるようにして指を滑らせる。ユエル様の指は少しだけ冷たい。
 こんな風に、ユエル様はいつもさりげなくわたしに触れて、距離を縮めてくる。以前とは違う距離感だ。
 気づけば、わたしはユエル様にふんわりと軽く抱き寄せられていた。
「ユ、エル様」
「すまないミズカ、このままで」
 頭上から、ユエル様の少し戸惑ったような声が落ちてくる。ユエル様の顔は見えない。けれど、なんとなく……もしかしたらユエル様はバツの悪そうな顔をしてるのかもしれない。
 わたしは思いきってユエル様に身体を預けてみた。ユエル様の腕の中は、どきどきするけど、温かくて心地いい。わたしの行動も、以前とはきっと変わってきてる……と思う。
 今更なのだがと、ユエル様は前置きをして語りだした。
「ミズカを、私の身勝手な都合で眷族にしてしまったこと、謝罪すべきなのかと考えていた。何も告げず、何も知らないままのミズカを曖昧な言葉で騙し、無理に眷族にしてしまったからね」
「……っ」
 そんな! そう声をあげかけた。けれどユエル様はわたしを抱きしめたまま、顔をあげさせてくれない。
「罪悪感めいたものが、ずっと胸の内にあった。そのせいで行動が後手後手になり、切羽詰まった状態に自分を追い込んでしまった」
「…………」
「自分の感情を認めるのが怖かったせいもあるね。そのせいでミズカを傷つけてしまった。それは、何度謝罪してもしきれないと思っていた」
「ユエル様、わたしは……」
 謝罪なんて望んでませんと、小声で伝えた。謝罪なら、わたしこそがしなければならないと思っているのに。
 ユエル様は小さく笑ったようだった。細い吐息が頭上にこぼれおちてきた。わたしはまだユエル様の腕の中だ。
「正直なところ、なぜミズカを眷族にしたのか、当時は分からなかった。なぜ、ミズカを手元に引き取ったのかすら。眷族を持つ気などなかったというのに」
「…………」
 わたしは静かに耳を傾けている。
 それはずっと知りたいと思っていたことだった。
 なぜわたしを眷族にしたのか、それを知りたかった理由は、ユエル様の傍にいてもいいのかという不安からきたものだった。不安は、恋心ゆえだった。
 けれどいまは以前ほどそれを知りたいとは思わなくなった。
 不安がなくなったわけじゃない。だけどユエル様はいまこうしてわたしをお傍に置いてくれる。そして気持ちをつたえてくれる。それだけで十分だから。
 ユエル様は自嘲的なため息を吐いてから語を継いだ。
「今でもまだ分からない。ミズカに対する今の気持ちなら明確に告げられるが……。しかし、あの時何故ミズカを眷族にしたのかと問われたら……明確な答えを返せない。情けない話だが」
 こんな言い方をしてしまってはミズカに見放されてしまうかもしれないねと、ユエル様は笑みを含んで言った。わたしはユエル様の腕の中で小さく首を横に振る。ユエル様はきっとわたしの反応を分かってて、そう言ったんだろう。それでも「そんなことない」というわたしの気持ちはちゃんと伝えたかった。ユエル様のシャツを無意識につよく握って、離れないよう、縋っていた。
「念のために言っておくが、後悔は微塵もしていない。これだけははっきり言える。ミズカを眷族にしてよかった。心からそう思っているよ。ミズカには感謝している。……少し、引け目を感じてしまうほどにね」
「…………」
 ユエル様がこんな風に弱音めいたことを口になさるなんて、初めてのことじゃないかしらと、ふと思った。居丈高な物言いをなさる方だし、気位も高い。己を恥じたり卑下なさったりすることって……ううん、違う、なかったわけじゃない。ユエル様は「吸血鬼」である自分を疎んじてらした。人の生気を吸ってしか生きられない「吸血鬼」のか弱さを恥じてすらいた……ように思う。そしてそういう自分の弱さをわたしに零すようなこともあった。わたしに心を晒してくれていた。
 ユエル様は存外臆病な方なのだ。
 そういえば以前、イスラさんがユエル様をそのように評していたっけ。プライドの高さは臆病の裏返し、というようなことを。今はその意味がよくわかる。
 ユエル様はわたしが考えるよりずっと深く、吸血鬼であること、さらに「吸血鬼の血を繋ぐための存在(生殖者)」であることに苦い思いをなさってたんだ。
 わたしは今でも鈍くて、ユエル様の心情を察しきれない。ユエル様の言葉を欲しがってしまう。
 だけどそんなわたし自身、ユエル様に思いを伝えきれていない。
 ユエル様はわたしと違って察しがいいから、ついそれに甘えて言葉足らずになってしまう。
「ユエル様」
 ユエル様の腕が緩んでいた。
 ユエル様からすこし身を離して、顔をあげた。もしかしたらわたしの言葉を待ってるのかもしれないって、感じた。
 憂いを含んだ優しい緑の瞳とぶつかった。ユエル様はその瞳を細め、憂いを抑える。
 そうしてユエル様は促してくれる。わたしのとまどいを払ってくれる。
 わたしも、伝えなくちゃ。胸に秘めてたことがある。このところずっと抱え込んでいた「不安」。もしかしたらユエル様はわたしの不安に気付いているのかもしれない。
 ならば、秘めたままにしていてはいけないって、勇気をだした。
「あの……わたしも、良い……眷族、……妻に、なれているでしょうか?」
 微笑ってみせた。ユエル様の真似をして。
 だけどユエル様みたいにはいかなくて、言葉が途切れてしまう。重たくなく、さらりと尋ねたかったのに。