匂玉の言


 むろん、クロイは初めから気付いていた。
 曲がりなりにも「人狼」なのだ、嗅覚は鋭い。サリーが「男」であると、わりにはやく気付いた。男臭いというのではないが同性のにおいをおぼろげに感じた。即座に察しきれなかったのは、異質なにおいに惑わされたからだ。
 サリーがまとっている「におい」はひどく薬物めいていた。どことなく知っているような「におい」。それは森のにおいのようで、すこし違う。樹木のにおいではない。その「におい」に魔が含まれていた。古い魔のにおいだ。それはサリーの左目の眉尻にあるみっつの黒子、三角形を成している「三つ星」から発せられている……ような気がした。
 一瞬、「魔物」かと疑いそうになったが、サリーの気配は人間そのものだ。
 サリーは魔物ではない。人間だ。だが「魔性」は感じる。悪い意味ではなく。
 男女どちらにも見える。サリーの「性」の曖昧さが「魔性」を醸し出しているのだろうか。クロイは首をひねるばかりだ。
 そういう不可思議な人物を目の当たりにするのは初めて、というよりは人間と接することの少なかったクロイは、サリーにどう対応していいものやら分からず、うまく言葉をかけられない。しぜん、距離を置こうとしてしまう。
「警戒しないで、クロちゃん? そう露骨に避けられたんじゃ、アタシだって傷ついちゃうわぁ」
 なんてサリーは言うが、傷ついた風には全く見えない。むしろクロイの反応を愉しんでるようだ。クロイは「はあ」とか「まあ」とか口を濁して身を硬くしている。
 ちなみに現在、皆はそろって酒場の屋内にいる。
 サリーに案内され、クロイとハナ、そして人間の姿に戻ったラドは酒場に入り、テーブルを囲んでいる。昔馴染みの酒場で、サリーは二階の客間に宿泊している。店主は買い出しに出かけており、サリーは留守番をしながらハナ達の来訪を待っていた、というわけだ。
 開店前の酒場は静かで、うす暗い。とはいえランプに灯りを入れるほどでもない。窓際のテーブルにいるから自然光だけでも十分だ。
 クロイは改めて店内を見回してみる。
 テーブルの椅子もきちんと揃えられ、清潔に保たれている。高級で上品といった店構えではないが、かといって低俗な感はない。それでも店内には酒の匂いが染みついていて、鼻の利くクロイは少しだけ酔いそうになっていた。酒のにおいだけじゃない。独特なにおいが充満している。薬草を燃したようなにおいだ。
「クロちゃん、お酒は……いけそうもないようね、その顔じゃ」
 クスクス笑いながら、サリーは小窓をわずかに開けてくれた。それだけでもこもった空気が入れ替わったように感じられた。クロイは新鮮な空気を吸い込み、そして大きなため息を吐きだした。
 サリーが出してくれた冷えた炭酸水もありがたかった。
「あ、ありがとう、ございます」
 たどたどしく礼を言うクロイに、サリーは「そんな他人行儀な話し方しないでちょうだい」と肩をぺしぺし叩いてくる。「かたっくるしいの、アタシ苦手なの」とサリーは朗らかに笑う。クロイもできれば笑って返そうとするのだが、口元がひきつってしまい、うまくいかない。
 サリーは人懐っこい。やたらと距離を詰めてくる。撫でまわしたり絡みついてきたりはしないが、腕や肩や頬を指先でツンツン突っつかれて、不快感はないのだが、正直ちょっと困ってしまう。人間に触れられることにクロイはあまり慣れていない。
「おい、あんま試すな」
 ラドはサリーを睨めつけて短く言った。窘めるような口調だ。皮肉のひとかけらも含まれていない。
「ラドは相変わらず鋭くて過保護なのだわねえ」
 ラドの鋭い眼光にもサリーはまったく怯まない。ラドはさらに渋い顔つきになる。
「旧き神の末裔とも言われる人狼を目の前にしてじっとしてろって方が無理よ? いろんな国を渡ってきたけど、お目にかかるのはこれが初めてなんだもの。ね?」
「そんなたいしたもんじゃねーよ。こいつはただのへたれ駄犬だ」
「ラドの口の悪さも世話焼きなところも変わってなくてホッとしたわ」
「ニマニマ薄気味悪く笑ってんな」
「そりゃだって嬉しいんだもの、ラドにも会いたかったから。ラドもでしょ? アタシに会いたかった……会って確かめたいことがあったんじゃない?」
「……ねーよ」
 ラドとサリー、ふたりのやりとりを傍で聞きながら、クロイはなんとなく安堵したような心持になった。ラドの口の悪さをやわらげてしまうサリーの雰囲気に感心したりもした。
 ハナやラドの態度から見るに、サリーは信頼のおける人物なのだろう。もともとレアの知己だというのだから信頼のおける人物には間違いないのだ。
 緊張を解いたクロイにハナがこっそりと耳打ちしてきた。
「ラドね、初対面の時サリーのこと女性だって勘違いしてたのよぉ。それをちょっと根にもってるの。これ、ナイショね?」
「そ、そうなんだ……」
 クロイは目をぱちくりとさせ、それから小さく笑みを零した。が、それを見逃すラドではなく。
「尻尾丸刈りにされたいのか? あ?」
 まったく「こっそり耳打ち」できていなかったらしい。ラドにギロリと睨みつけられてクロイは慌てて笑みをひっこめた。ハナはといえば悪びれもせず、「ふさふさの尻尾丸刈りにしたら中身はどんなかしら?」と、まるで他人事だ。
 クロイを挟んで軽口をたたき合うラドとハナを眺めながら、サリーは目を細め、やわらかく微笑む。とくにクロイを見やるまなざしには好奇心以外の、期待を含んだような色があった。
「さぁさ、おしゃべりはここまでにしましょ。あまり時間ないんだから」
 半ば強引に雑談を断ったのはハナだった。パンパンと軽く手を叩いて話の流れを切り替えた。
「あら、そうね、じゃ、そろそろ商談に入りましょうか?」
 そう言って、サリーは商談の用意を始めた。といっても、簡易なものだ。
 楕円形の小ぶりなテーブルに黒い厚手の布を敷き、そこに「商品」を並べていく。円を描くように並べられたそれは、大小さまざまな鉱物いしだ。ごつごつとした表面が黒光りする石もあれば、木炭のような石もある。卵型の白っぽい石もあるし、朱や緑の流紋のはいった平たい石もある。一番大きいものだとクロイの拳ほどはあろうか。
 とくに目を引いたのは蝶の片翅のような形の、艶のない黒石だ。厚みのない石だが、模様が美しい。わずかな白い斑点、外縁に並行する青い帯。瑠璃色というのだろうか。石の内側から浮き出てきたような青い筋は空の色とも湖面の色ともつかない、神秘な色をしていた。……青に魅入られそうになる。
 クロイはまじまじと黒石を見つめ、きれいだなと素直に思い、それを口にした。
「さすがは人狼のクロちゃん。魔に敏感ね」
 サリーはちょっとからかうように言ってから、クロイの横からテーブルをはさんだ向こう側へ移動し、腰かけた。
「クロちゃんの察する通り、これらの石は魔を帯びてるわ。とくにこの青い筋の入った石はトクベツなの。青光石とか瑠璃香とか、まあ呼び名はいろいろね。まんま"青"と呼ばれることすらあるけど、もとはちょっと黒っぽい石で青みはほとんど帯びてない……どころか、ついさっきまで無かったのよ。黒いだけの石だったの。魔に反応したのね。まぁたいていは加工具合によって色や石質、匂いも変わるのだけど。きむずかし屋の貴石とか意志を持つ鉱物なんていわれたりしてるのよ」
「…………」
 クロイは静かに耳を傾けている。真摯な表情が、サリーにはちょっとおかしくて、つい口元がほころんでしまう。クロイの純真さは、まるで幼児のようだ。
 人狼族はもっと猛々しい「魔族」だと思っていたが、育ち方で変わるようだ。いや、クロイの本質が“純”なのかもしれない。
 一息いれてからサリーは話を続けた。
「採掘場はフィデナ連峰のとある場所。「王の秘めたる庭」からほど近いところにあるの。分かりやすく言うとレアの縄張りの境界線あたりかしら? ま、もっともラティム国側からは入れないんだけど。レアがいる森は王領で禁足地って、それはクロちゃん知ってる?」
 クロイが頷くのを待って、サリーは話を続けた。
「秘王の森は人間の立ち入ることのできない森。感じてると思うけどレアの森は魔性の強い場がいくつかあるの。フィデナ連峰自体、チカラのある場なのだけど。フィデナ連峰は広大だけどこの石が採れる所は限られてるわ。この石……青光石はクロちゃんに馴染みのある石のはずよ? ことに老ボウは青の鉱床を神聖な場として守ってたはず。レアから聞いた話だけれど」
「……!」
 老ボウの名が出て、クロイは思わず腰を浮かせた。
 なぜ、と。口を開きかけたが声にはならなかった。ラドがクロイの肩に手を置き、制したせいもある。
 なぜ老ボウを知っているのか。レアは、俺に何も訊かなかった。一族のことなど、何も。
 愕然としたが、ラドに促され、クロイは座り直した。
 森に住まう魔女は、森の何もかもを把握してるのかもしれない。そう思うのはすこし怖かった。だが不快ではない。レアが何も訊いてこないのは、俺を気遣ってのことかもしれない……――
「あらあら、ちょっと話がズレちゃったわ。まあ、ともかくこの青の石はアタシたち薬師には欠かせない石なの。魔力を抑え込んでただの薬物として利用することもできるし、魔術を増幅させる魔具として加工することもできる。加工次第で百通りも千通りも用途があるの。まあ、万能薬みたいなものだわね。ただし誰にでも扱える代物ではないわね」
「薬になる? 石が?」
 はじめてクロイは問い返した。薬は草木から作るものだと思い込んでいた。
「そうよ。ただし、鉱石にはかなり毒性の強いものがあるわ。ま、でもそれは植物も同じだわね」
 サリーが身につけている美しい宝石ひとつひとつが魔を帯びた"薬物"に思えてしまい、クロイはちょっと身震いをした。そんな素直すぎるクロイの反応を、サリーは楽しそうに眺める。
「青光石はね、広大なフィデナ連峰の一部、ラティム国側にしかないのよ。レアの森にだけ。今のところどの国でも発見できていない。かなり貴重な石ってわけだわね」
 この石ひとつで城ひとつ建てられるほどの価値がある、なんて言われているのよと、サリーは笑みを含んで言った。
 クロイは「へえ」と素直に感心して、青光石を改めて眺める。
 これが一族に関連した鉱石だと知り、さらに興味は強まる。老ボウが思い出されて、すこし切ない気分にもなった。
「さて、説明はここまでにして。クロちゃん、レアから預かったペンダントをここに置いてくれる?」
「え? う、うん」
 クロイは促されるまま、レアから借りたペンダントをはずし、サリーに指定された小さな台座の上に置いた。白い台座の上、雫の形をした黄緑色の貴石が淡い光を放った。
「レア、聞こえてる? アタシ、サリーよ」
 そう言った後、サリーはクロイには分からぬ言語で一言二言、呟いた。呪文、だろうか。
 それが合図となり、石から放たれた光がさらに色と明るさを強めて輝きだした。
 キラキラという音までが聞こえてきそうだ。金の粒子が弾けるように光り、それに呼応するようにテーブルに置かれたすべての石が鳴っている。微かな共鳴だ。音が、光となってあらわれているようだった。
「……っ」
 クロイは目を瞠った。石から放たれた光がやがて円形に凝縮し、それから縦に長い楕円へと変わっていく。淡い光が人の形を成していく。ふんわりと、森林の香りがクロイの鼻腔を優しくくすぐった。
 光が流線を描く。それは長い長い、緑を含んだやわらかな金の髪だ。淡い金の光がいばらの魔女の形を成した。
 クロイは唖然といった態で目の前の「魔術」を見つめている。
 形を成しただけではない。クロイの拳をみっつ程重ねて程度の大きさとなったいばらの魔女の似姿は、動き、声を発した。
「久しぶりね、サリー。会えて、嬉しいわ」
 聞き馴染んだ、やわらかなレアの声だ。
「お久しぶり、レア。実際に会えたらもっと嬉しいんだけど」
「……そうね」
「連絡遅くなってごめんなさいねぇ。クロちゃんに会えたのが嬉しくていろいろ話しこんじゃったのだわぁ。うーんと待たせちゃったかしら?」
 レアは「いいえ」と短く応えてから、クロイの方に向き直った。