緒の言


 淡い光に模られた魔女の姿はいつにもまして儚げだ。触れれば消えてしまいそうで、近づきがたい。しかしなんと芳しい姿なのだろう。長い金の髪が光の粒を弾かせている。光の粒が森林の香を放散させているのか、酒場独特の饐えたようなにおいを消していた。
 クロイは魅入られるようにレアを見つめていた。
「おつかいありがとう、クロイ。街は、楽しめた?」
 レアは一語一語を丁寧に発する。ゆったりとした話し方、よく通る凛とした声が耳に心地よい。
「う、うん、いろんな人がいて、いろんな物があって、すごく新鮮だった」
 はじめてのおつかいを保護者に報告するかのようなぎこちなさと、楽しさを隠せないわくわくとした声音が混じって、クロイは我ながら子供っぽいなと内心自分に呆れていた。
 言いたいことがたくさんありすぎて、何からどう言えばいいのか、クロイはしどろもどろになりながらも語を継いでいく。街へおつかいに出してくれたレアに感謝の気持ちを伝えることは忘れなかった。
「おつかいの報告は森に帰ってからにしましょ? レア、必要な石、持って帰るから教えて?」
 口をはさんだのはハナだった。こういう時、場をしきるのはたいていハナなのだと、クロイは学習した。実際ハナがいてくれたおかげで買い物も滞りなく済ませられた。
 商談の邪魔をしてはいけないと、クロイはちょっと身を引いて、おとなしく待機することにした。目だけはずっとレアに据えている。
「そうね」
 小首を傾げ、レアは卓上の石を見まわした。
「夏至祭に使うのね?」
 サリーの確認にレアは「ええ」と生返事だ。沈思しながら、それでも必要と思われる石を指差していき、サリーはそれらをひとつひとつ小袋に分け入れていく。
「ってことは、あの副祭司サマもいらっしゃるってことだわね? 何かしら祭事があるとレアの元にやってくるようだけど?」
「祭事だけじゃねーよ。なにかってぇとテキトーな理由でズカズカ入り込んできやがる。だいたいあの不良副祭司の目的なんざお見通しだっつの」
 サリーの問いに答えたのはラドだ。吐き捨てるよう言い、舌打ちをする。
「あらぁ、相変わらずヤキモチなの、ラド?」
「そんなんじゃねぇ」
 と、ラドはいうが、もしかしたら図星なのかもしれない。ラドの頬はやや紅潮していた。傍で二人の会話を聞きながら、クロイはなんとなく察したような気分になる。とはいえ、実のところ何の話をしているのかはよく分からない。「副祭司」とは何のこと…誰のことなのか、レアとどんな関係がある「ヒト」なのか。気になったがクロイは口を噤んだままでいる。
 ――レアのこと、なにも知らない。
 それが少し寂しくもある。レアのこともっと知りたいと内心思っていても、踏み込む勇気がクロイにはない。
 レアとはまだ知りあって日が浅い。やっと一ヶ月。居候の身の自分が、家主であるレアのことを根掘り葉掘り聞くなんて不仕付けすぎるだろう。
 分からないと「分かっている」だけで今は良しとしよう。もしかしたらハナやラドが差し支えのない程度のことなら、いつか教えてくれるかもしれない。そんな風にクロイは自分を納得させて、ともかくいまはサリー達のやりとりを傍から眺めているだけにした。
「いいから余計な茶々入れずに用事済ませろよ。レアも、とりあえずそこにある石、全部持って帰りゃいいだろ。めんどくせぇ」
「そんなわけにはいかないわ。石にも、相性があるから。サリーの手元にあるからどの石も鎮まっているの」
 苛立っているラドを窘めるよう、優しい口調でレアは言う。
「わたしを拒む石だって、あるわ……」
「……そんなの、…………ねーよ」
 ぽつりとつぶやき、ラドはそれきり口を噤んで、どかりと椅子に腰かけた。何か言いたそうではあったが、むっつりとした表情で座っている。苛立ちを隠そうともしない。腕組をしている腕が絶えず動いている。指を上下にタップさせてみたり腕を組み直したりして始終落ち着かなげだ。
 ハナはといえば、じっと座っていられる性質ではないようで、窓の外を眺めたり店内の装飾品を見て回り、時折は感嘆の声をあげたりして酒屋の雰囲気を満喫しているようだ。
 如才ないサリーはハナの相手をしてやりながらもレアの様子を窺っている。
 ほどなくして、レアはいくつかの石を選び、求めた。対価は金貨だ。石一つにつき、金貨一枚。金貨一枚にどれほどの価値があるのかクロイはまだ分からないが、安価な買い物ではないことはわかる。だがそれでもかなり割り引いてくれたらしい。
 青光石のみは金貨ではなく、「物々交換」だった。金貨で賄えるものではないらしい。
「サリーに渡してほしいものがある」と託された荷を、クロイはハナに促されて荷袋の中から取り出した。紺色の綿布に包まれている。中身は分からない。重くもなく、厚みもない。クロイの両手に乗る程度の大きさで、匂いなどはない。
 中身は何だろうとサリーに尋ねようとしたのだが、尋ねる機を失ってしまった。サリーはクロイからそれを受け取るとさっさと自分の懐に仕舞い込んでしまった。
 レアは少し困ったような、心配そうな顔をしてサリーに言った。
「封は、サリーにしか開けられないようまじないをかけてあるけど、気をつけて、サリー」
「ええ、もちろんだわよ。ありがと、レア。恩にきるわ」
「わたしこそ。青を、いつも用意してもらってるのだから」
「お得意様のレアだから特別よ。と言いたいところだけど、まあ本来ならレアの一部みたいなものなんだから、対価をもらっちゃいけないのかもしれないわね」
 サリーはテーブルに広げていた品を片付け始めた。
「それにしても青をまた使うことになるなんてねぇ。副祭司サマの時以来なんじゃない?」
「そう……かもしれないわね」
 次第にレアの姿は霞がかかったように薄くなり始めて、声も小さくなっていった。
 サリーは目を瞠り、それからちょっと芝居がかったようなため息を落とした。
「あらぁ、レア、もう時間切れなの?」
「ええ、そう。もっとゆっくり話したいけれど、今日はここまでにさせて」
「また話せる?」
「ええ、近いうちに、きっと」
「ねえ、レア」
 ふと、サリーはクロイに目をやった。瞬きをする僅かの間クロイを見つめ、また自然をレアに戻す。
 窓から差し込む陽がサリーの横顔を照らした。サリーの小麦色の肌が美しく映える。
 注がれたサリーの視線にクロイはちょっとだけたじろいだ。だがサリーから顔を背けず、そのままサリーの横顔を見つめ続けた。
 サリーの左の眉尻にあるみっつの黒子。そこに、なぜかしら目がいった。
 光の加減だろうか。三つの黒子が色を変えたように見えた。黒から、微かな青に。まるでサリーの親指に嵌っている玉虫色の貴石のように。
 ほんの一瞬だった。だがその一瞬に魔の力を感じた。微かなものだが、サリーからそれを感じ、魔によって内側を視られた感覚があった。クロイはそれにたじろいだのだ。
 探る、とまではいかない。ちらりと覗かれたような、そんな小さな「魔視」の力ではあったが。
「レア。……森にも、新しい風は必要だわよね? 永き時を眠るようにしてきた森だけれど、目覚めてしまったのではない? 風に起こされたのか、風を起こしたのかは、レアにもまだ分からないかもしれないけれど」
 サリーは細い顎に指を当てる。親指に嵌められている玉虫色の貴石が揺らめいた。緑、青、紫、赤……――さまざまな色が濡れたように揺れている。
「それともまだ眠ってるのかしら? 眠ったままでいたい?」
「…………」
 レアは沈黙していた。口唇は穏やかな笑みの形を描いているが、緑の双眸には何の感情も浮かんでいない。それでもひどく哀しげな姿に見えたのは、今にも消えてしまいそうな光をまとっていたからかもしれない。実際、レアの姿は半透明になり、消えかかっていた。森林の匂いも薄れていた。
 時間切れのようだ。
 レアはラドとハナの方に顔を向け、「気をつけて帰ってきて」と声をかけた。「待っているわ」と、その声は小川のせせらぎのように澄んで、優しい。
 それからサリーの方に向き直り、「近いうちにまた連絡するわ」と告げた。
「だから、もうしばらくはラレンテにいて、サリー」
「わかったわ。そうねぇ、ハナにも言われたけど、もしかしたら面白そうなことが起こるかもしれないわねぇ。夏至祭、待ってみようかしら? 何かチカラになれることがあったら、いつでも言いつけてちょうだいね、レア?」
 そう言ってサリーは気さくに笑い、おどけたように片目を瞑ってみせた。